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Soup Land

クリアーノは「第四次元」的に考えられた思想の歴史というものを、二次元のスープランドの住民の体験をとおして、つぎのようにたくみに語りだそうとしている。お皿にもりつけられたスープの表面に浮かんだ油の薄膜に住む知的生命体は、自分たちが住む世界を、右-左と前-後だけでできた、二次元のものとしてとらえている。この世界の住民にとって、上-下という方向は意味をもたない。それは、私たち人間のように、空間の認識が三次元的にできた生命体にとっては、空間の第四次元方向への運動が、意味をもたないのと、同じことである。人間はスープランドの全景を、すべての方向から眺めることができるし、そこの銀行にしまってあるお金を、三次元方向から手を伸ばして、なんなく盗み出すことができる。

そこで、いたずら好きなクリアーノは、そのスープの中にスプーンを差し入れて、スープランドの住民がそのときどんなことを体験するか、その様子を観察してやろうとするのである。

スープランドの彼または彼女は、スプーンが差し込まれたとたん、じつに不可解な現象が起こったのを知って、怖くなってしまうだろう。最初、短い線がスープランドに実現する(これはスプーンの先っぽだ)。その線はスプーンがお皿の底をすくう動きにつれて、しだいに巨大なものになり、スプーンがスープをすくい上げる動きとともに、こんどはだんだん小さくなって、点を最後に消えていく。するとそのとたん、スープランドには恐ろしい地震が起こり、世界の一部が突然消失してしまったことに、住民たちは気づくことになる。

スープランドの住民には、スプーンは私たちがそう見ているように、厚みを持った物体のようには、見えていない。彼らは、スプーンというものを、時間の中に起こる現象の連鎖としてしか、理解しないのである。スープランドの住民の寿命が短いことをお知らせしても、みなさんはそんなにびっくりしないだろう。そうすると、そこの住民が、「スプーン現象」の意味を理解するようになるまで、十万、百万という膨大な世代を必要とすることも、わかる。そして、とうとうとてつもない天才があらわれて、信じがたいほどに高度な計算をおこなった結果、もろもろの「スプーン現象」を総合すると、より高次な「第三次元」というものの存在を仮定しないかぎり、この現象は理解できない、ということを示すことになる。未知の物体はこの第三次元の実在であって、それがスープランドを通過するときに、例の現象がおきる、というわけだ(それでも、ここの住民は、私たちを見ることができないから、第三次元などというものは、数学的なつくりごとにすぎない、と主張し続けることになろう)。

私たちは、スープに差し込まれたスプーンの、「第三次元」的な実在を感知しはじめた、最初のスープランドの世代のように、いま、思想史においてシンクロニーとダイアクロニーを統一する、高次元な「イデアル・オブジェ」が発見されつつある、最初の時代を生きているのではないだろうか。

 

中沢新一 著「哲学の東北」より

*クリアーノ(ユーゴスラビアの宗教学者)

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